監督 君塚良一の思いが告げる映画への感情

合掌

監督 君塚良一の思いが告げる映画への感情

真実を告げることへの責務

作品に対して思うところがあるという人もいるだろう、何より遺体安置所という震災において被災地では当たり前のように見られる光景をそのまま、映像として放送していいものなのかと、それをすることで心に傷を追った人々の心を抉らないのかということも思いたくなる。これは自然なことだ、そして映像としても悲観的なものより、希望に満ち溢れた未来を想像できる明るい話を人は好みたがるものだ。しかし、この作品に関しては原作に準拠し、何処もいじる事無くありのままに表現することに徹しているという。

この映画作品を製作した監督には、踊る代走査線などの有名映画の脚本を勤めたこともある『君塚良一』氏が抜擢された。彼が採用されたのには、95年に起きた阪神・淡路大震災に関するドキュメンタリー映画を製作したという経緯もあったとのこと。その番組の時には構成を担当しており、制作している際には同じく震災ならではの『遺体』と直面する現場に何度と無く立ち尽くしたという。ただこの時はテレビで放送される番組として制作されていたため、そのような様子を公開するのはよろしくない、復興に向けての明るい構成にした方が良いという、番組スタッフの総意として相した映像は全てカットされたという。

おそらく間違っていはいないだろうが、果たしてそれで本当に正しいのかと聞かれたら筆者にも皆目答えを導き出すことは出来ない。人生において遺体を直視する機会など5本ある指を全て使うかどうかだろう。筆者も一度だけで、今後はその指をさらに2つ追加することになるかもしれないが、それでも直ぐに起きるわけでは無い。だがこうした天災において身内といった枠に関係なく、様々な人々の痛いと直面することになる。そのことを考えると、被災地における真実から目を背けることが果たして是と言えるか、議論の対象とするべきところなのかもしれない。石井氏も遺体を見たくなければ見ないことに越したことはないと、君塚氏も同意見を次げている。誰もがそうだ、遺体を直視する事を望んでいる人など通常はありえない。

君塚氏はこうしたドキュメンタリー番組を制作し、そして原作書籍を読んだ時にかつて感じていた疑問を思い出し、それまで事実として伝えることに徹した原作に感化されて、真実を伝えていかなければならないと発起したという。それまで真実を伝えられたかという疑問さえ忘れていたが、その疑問を払拭するように監督として、映画という形を持ってよりリアルに、被災地で起きた事実を伝えることに決めたという。

劇中で表現される役者の姿

作品を見れば分かると思うが、その大半のシーンに辛い場面、遺体と向き合う姿、亡くなった家族に寄り添い悲しみに暮れる遺族と、それに対して何も出来ない安置所を管理している人々の姿、そのどれもがとても演技で語られているとは思えない表現力を持っていた。それもそう、この作品で君塚氏は俳優達に対して『自然な演技』をすることに徹してほしいと伝えていたという。そこに演出も、手順も、順番もなく、ありのままに役者としてではなく、その人個人が感じたままで演技として形に表してほしいということを要望したとのこと。とてもではないが、一般的な俳優としてカテゴリーされている人々には無理難題過ぎる課題だ。そのため、この作品では出演している俳優陣も一般的に『演技派』・『実力派』といった枠で語られている人々がキャストとして選出されている。


主要人物のキャスト

この作品での見所としては、日本で俳優として活躍している方達の中でも長年活躍している、また注目されているといったように、演技力に定評がある方々が多く出演している。簡単にキャストを見てみると分かると思うが、そうそうたる面々が出演している。

※以下、表でお願いします。

相葉常夫 西田敏行

平賀大輔 筒井道隆

下泉道夫 佐藤浩市

正木 明 柳葉敏郎

大下孝江 酒井若菜

及川祐太 勝地涼

照井優子 志田未来

松田信次 沢村一樹

山口武司 佐野史郎

土門健一 緒方直人

芝田慈人 國村隼

主演の西田敏行さんを筆頭に、日本の演技界で高い評価を受けている役者が勢ぞろいしており、そんな役者陣に君塚氏は特別な指示を出す事無く、ただ思ったままに演技をしてほしいという、それだけを注文したという。

この中には単純に、観客を増やすためにキャスティングされるような二流アイドルのような存在も無く、純粋に役者として書籍の中で、また台本という枠が用意されていながらも、演技する約以上に自分という個性に基づいてありのままに表現することが出来るとなれば、ある程度のキャリアと実力が無ければこなすことは出来ないだろう。そういう意味ではまだ20代でありながらもその演技力が確かに評価されている『勝地涼』と『志田未来』という二人の役者としての真価が高いことを伺わせる。


失望感と絶望感

この作品は通常のドキュメンタリーとは異なり、最初から最後までただ当時起きた事実をありのままに映像化している。そこには一切の希望も無く、救済も無い、ただただ絶望と死だけがひしめき合っている世界だ。こう言ってはアレかもしれない、だが被災地というのはただ無残に蹂躙された大地が残るだけだ。そこには人間の語る理想など存在しない、ただ暴虐と言う一言で食い荒らされたように、人々の痕跡が残っているだけだ。津波という凶器に攫われ、残ったのは冷たくなった遺体と、その遺体を捕食する魚という構図だ。それの何処に明るい未来が待っているというのだろうか。

演じる役者達も、いざ製作をするとなった際、様々な感情に捉われ、そして悲しみ、嘆き、そして叫ぶことになる。慟哭を発することも許されず、ただ遺体を無事に家族の元へと還すこと、それを献身的にも全うする人々の姿を表現しているところに、天災による失望感と絶望感がより引き立てられる。