原作者 石井光太氏が語る作品への思い

合掌

原作者 石井光太氏が語る作品への思い

緻密に描かれた書籍から語られる真実の一端

遺体、明日への十日間という映画作品を知らないという人もいるかと思うが、この機会において是非とも合わせて読んでもらいたいのが、実写映画化となるきっかけとなった原作書籍でもある『遺体――震災、津波の果てに』も手にとって欲しい。こちらの書籍は原作であるノンフィクション作家としても知られている『石井光太』さんが書いたことでも知られており、彼の描く作品は作品毎に変える表現方法によって『新しい文学ノンフィクション』として定評を持っていることでも知られている。一部の作家からは批判もされているが、この作品を通して彼のことを知ったという人も少なくは無いだろう。筆者もこの映画作品を通して彼の名前と、原作となった書籍についても知ることが出来た。そういう意味ではいい機会に恵まれたと感じている。

この作品では岩手県釜石市の震災直後に関する出来事が描かれているわけだが、その状況を知るために石井氏は3月11日の震災直後に交通網が麻痺している中で何とか現地入りを果たした。そこで被災地を取材し、被災地で何が行なわれているのかを雑誌に投稿することで、人々が主要メディアで報道されない事実を伝えていく。そうした取材をを元に、2011年10月には件の書籍を発売することとなり、それまで知ることの無かった真実を目の当たりにして、書籍に対しての評価が軒並み上がっていた。

そうした声が高まる中で、同作品を映画作品として製作したいとの声が石井氏の元へ声がかかる。ただ書籍が発売されてから1ヵ月後というあまりに短すぎるオファーだったこともあったため、即答する事無く、まず製作したいと声を挙げたフジテレビに対して、同氏は現地をよく取材してからまた声を掛けて欲しいとの要望を出した。作品が映画化されればそれだけで金銭的な利権は少なからず得られる、何より名前を売ることができるという点に着目すれば石井氏の行動は褒められたものではなかったが、内容に対して真摯に、そして真実を克明に描いたことに対して誇りを持っていたからこそ、作品を売ることはなかったのだろう。これでお金のことしか考えていない人だった場合には、喜んで作品に対する尊厳もへったくれも無く作者自らが作品を貶める行為に立っていただろう。

入念な取材と現地でモデルとなった人々に対して了承を取ることに成功したフジテレビの答えを見て、ようやく映画化への話が進んだという。

一ページ毎に記載されている、当時起こったありのままの出来事を描いた今作品に対して、作者は知ってほしいという思い以外に、書籍を通して何を知ってもらいたいと考えていたのだろう。

復帰の原点にある『遺体』に注目している

彼についての情報を探してみると、ネット上で同作品に対する思い、そして震災に対して彼が当時感じていた事実に対してが語られている。当然、石井氏としても作品内容があまりにリアルすぎるため、酷な内容表現があることも重々承知しているが、その中で復興して行く人々の姿でどうしても目を背けてはいけない真実に、石井氏は真摯に立ち向かっていた。

彼が語るのは今回の東日本大震災によって生じた圧倒的なまでの『遺体』の数について、キチンと知っておく必要があっということに注目している。この大震災によって発生した行方不明者を含めれば約2万人という、日本の歴史において二度語られることは無かった最大級の大震災だということだ。たった一日の出来事で東北地域、特に沿岸部に住んでいた人々の多くが命を奪われ、中にはいまだ家族の元に帰ることも出来ないまま彷徨い続けている遺体もある。100年に一度起きるかどうかも分からない天災による被害を受け、最前線となっている被災地にて人々はどのようにして困難と立ち向かっていくのかを表現しなければならなかったと、そう語っている。

石井氏が被災地に現地入りしたのは震災が起きてから三日後の3月14日のこと、そこにあったのはカメラでは放送されることのない、被災直後の惨状が広がっていたという。到着したばかりの頃、そこには無数の散らばっている『死体』が転がっており、それらをどうにかすることからすべてが始まるしかなかった。テレビで放送されるのはあくまで片付けられたところまでしか放送されない、その一歩先の、津波によって無尽とした状況が続き、至るところにいまだ放置されている死体ばかりが散見していたという。現地に行って見なければ分からないことと直面しながら、石井氏が見出したのはこれから先における復興に対して『遺体と直面する』ことが重要であると考えるようになり、釜石市の安置所で取材を敢行することとなったという。


現地での被災者の思い

ノンフィクション作家として取材するために被災地に行った石井氏だが、はたから見ると何も知らないよそ者に対して取材に応じる人などいるのだろうかと感じるが、事実は小説よりも奇なり、というものだという。石井氏が現地について取材をしようとする以前に、被災地以外から来たということを知ると多くの被災者が、書き手である彼に対して話を聞いてほしいと群がったという。それも取材して、1つの書籍にするための情報量としては申し分ないほどの人間と会話を交わすことになったというのだ。

これは被災した人々が誰に告げられることのない思いを吐露する相手にその丈を放ちたいと、そう考えている人が多くなっているというのだ。些か信じられないが、非現実的なことが連続して起こり、その中で家族を、友人を、そしてすべてを失った人々が大勢いる中で喪失感を持っていることが当たり前になる。また失った直後の人は大量のアドレナリンが分泌されており、妙な高揚感に満たされているため、それらを発散するために誰かに話を聞いてもらいたいと思うようになるという。ただ話す相手に関しては同じ喪失感を持っている人ではなく、自分たちを知ることのない人に話すことで、その辛さをより分かってほしいという感情からきているのかもしれない。現地を知らない筆者にすれば憶測になってしまうが、その状況では取材する人間も相当の精神力を持っていなければ耐えられない現実が待っているかもしれない。

ただそれこそ石井氏が伝えたかったことでもあり、そして一部メディアで伝えられている復興の裏側で懸命に、日に照らされることなく懸命に活動を続けていた遺体を手厚く処理していた人々の様子を描き出した、『見なければならない現実』を表現したというところに、この作品の存在意義があるといえる。

おくりびと

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